令和徒然草

日々感じた事を書くブログ

物を大切にする習慣

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コロナの影響で仕事の作業を在宅で行う事が増えた。それにより、家にいる時間も増え、通勤時間が減った分、好きに使える時間が増えた。そのような時間は、僕の場合、ほとんどに趣味に当てられる。趣味は楽器演奏なので、楽器に触れる機会が多い。理論より、技術向上に力を注いでいるのでずっと楽器の操作をしている。

 

楽器は結局のところ、物であるが、このような物の場合は長く使う事が前提の”物”である。100均で買ってきてすぐ使い捨てるような物とは異なる、何年も共にする"物"である。

 

よく思うのだが、大切にするとは、結論を言えば物を長く使う事である。しかし、物を長く使うとは"長く所有"することでもあるのだが、ただ所有しているだけでは、物を大切にしている気がしない。ガンガン使った上で長く所有した状態が"大切にしている"証明のような気がしている。

 

何でもお金を出せば、すぐ手に入る時代である。また手に入れた物をすぐにお金に換金できる時代でもある。お金に換金できるからこそ、長く所有する機会が減っているいる。すべてがお金のように見えるので長く所有するのが難しい気がしている。または、使い込むということがやりにくい気がする。というのは買取の際、状態評価がよければ金額が高くなるからだ。だから少しでも傷をつけないよう"気を遣って"使っている。

 

最近、この状態にうんざりするようになった。というのは使うのが前提の"物"であるのに、好きなように使えない。これは人それぞれだと思うが、自分の場合、物がお金に見えてしまって、好きなように使い込むことができない。ビンテージ楽器が良い例だろう。歴史的価値のあるビンテージ楽器をよくオークションで目にする。その際のコメントが”もったいなくて使えない”という内容もよく目にする。もったいなくて使えない"物"を所有する、ただそれだけ。楽器として全く機能していない"物"を持つ意味あるのかと考えるようになった。

 

いつかは売る事を前提として物を買うと、それを使う事はできなくなる。それが鑑賞やコレクションを理由として含んでいるなら尚更である。”物を大切にする”ということは”長く使う”という意味も含んでいるのだと考えを改めた。ただただ長く所有しているだけではそれを”大切”にしている実感がない。

 

先日、所有するサックスのパームキーのコルクが剥がれ落ちている事に気付いた。マイナスドライバーでキーを取り外し、コルクを用意して、必要箇所に補修した。自分でやろうと思ったのは、修理も含めて、自分の楽器を世話してやりたかったのだ。

 

壊れたところの修理・補修を行い、手をかけてあげることで”物”に対する愛が生まれる。そうなって”大切”にしているという実感が湧いた。 

 

まともに使えなくなるまで、使い込むという、"物を大切にする"までの過程が大事何だと今更気付いた。大切にお蔵入りさせているよりも、使い潰す事の方が遥かに"大切にする"という事が実感できた。楽器じゃなくても、日用品でもいい。普段から"使い切る"事を大切にしていれば、物を大切にする習慣が身につくだろうと思う。

 

最近定着した断捨離は、そもそも物を買い込んだりしなければやらなくて良い話である。本当に必要な物で身の回りを固めるのは、今の世の中では難しいのはよくわかる。お金さえあれば欲しい物が手に入る、コレクションに走ってしまうからだ。

 

 

人生を変える断捨離

人生を変える断捨離

 

 

コレクションに走る前に少し考えてみて欲しい。1つの物を使い切る事は結構自分を満足させられるんだって事を。欲しい物すべてで生活を満たすのも悪くないが、1つの物を使い込んで、使えなくなるまで使い切る、使い切ったあとの達成感も結構良い気分である。楽器を使い潰すのは何十年もかかるが、消耗品などを使い切ってみるとその気持ちはよくわかると思う。

 

必要最低限で身を固めるという考え方は、昨今ではミニマリストの考えと同じと思う。確かにあの生活でずっと続けられるなら良い。しかし人間はどこかで欲を出してしまう。お金があれば、尚更だ。それで買い物に走り、物が溢れ、メルカリに出品するルーチンに陥る。

 

このような典型的なルーチンに陥るので、"使い込む"という事を意識する必要があると、僕は思う。気をつけなくては"使い切る"事は難しい世の中なのだ。